「如来法と世間法」とは
唯一無二の教えに従うことが如来法であり、世間の歓楽に流されるのが世間法である。
独自用語
単純明快な理であり、信者を指導していく上で都合の良い言葉である。
また、
ネズミ講型の教えであるにもかかわらず、信者同士で独自用語を交わしているだけで
選民意識が生まれる。
教えの欺瞞に気づき、離れて行った人を「
堕ちた人」と表現するが、「世間法に流された人」とも表現する。
信者は如来法に従っているのであるが、無意味なカルト信仰をしているストレスから認知的不協和によって
人を見下す心理に陥ることもある。