徳:とく

徳とは

修行の結果得る事が出来るポイントのようなもの。
概念上では貯蓄され、目減りする。また、人に贈与することができるものとされている。

独自用語

真如苑では「徳」は先祖から子孫へ引き継げる霊界ポイントのように扱われる。

  • 徳は真如苑の修行もしくは社会的善行等によって積んだり磨いたりできる。
  • 徳は生きてるだけで減るものである。
  • 厄災に直面した際に徳を消費する事で軽減もしくは回避できる。
  • 非信者でラッキーな人はご先祖が積んだ徳のおかげ。
  • 先祖の徳の負債は悪因縁である。

徳と悪因縁と供養と修行の関係が曖昧であるが、論理的疑問は禁止されている。

徳と修行の関係を解説した苑歌
「歓喜積み お救けこそは積み磨き 奉仕は磨く 徳と知れ人」
徳は献金をすると積まれ、勧誘は積み+磨き、施設清掃は磨くのみ。


大難が小難に、小難が無難に」と、平穏無事な生活を送れるのは“徳積み”によって蓄積された徳の多寡によるものとされます。しかし、徳は常に消費される設定がなされており、大難が小難へと災いの度合いが減る場合に「徳を使った」といわれるのです。
この詭弁により、たとえば『腕を骨折した』という場合は「本当ならば腕がもげて効かなくなっていた所を、骨折だけで済んだ。大難が小難へと引き下げられたのだ」と言えるのです。
更に、日常を平穏無事に何事もなく過ごしている場合にも「本当ならば幾多の小難があったのに、それを無難な日常にしてくれているのは日頃の徳積みのお陰である」と言います。
九死に一生を得た場合などには『抜苦代受』が発動され、それまで積んできた徳を大きく消費することになります。

大きな危険や危機に晒された場合には、信者の命を保障するために多くの徳が消費され、平穏無事な日常を送っているだけでも、小難を無難に引き下げるために徳が消費されているのです。

そうして、真如苑信者である限りにおいては一生涯、徳積みを続け、目減りする徳を補填し続けなければならないのです。

信者は逆境を迎えれば迎えるほどに、「徳積み」に対して血眼になって取り組むことになります。それは徳の枯渇によって、いざという時に徳の多寡が少ない場合には、そのポイントが足りないために抜苦代受が発動されなくなってしまうためなのです。そういった「見えない恐怖」に縛られ、徳を貯め込むための活動がなされます。その活動を信者は“信仰”と呼んでいるのです。


真如苑信者の身内や知人に、災難が降りかかる、もしくは大病や大怪我をした場合、「その方に、アナタの徳をお運びしてあげてください」と上の者から指導される。その言葉を受けた信者は、自分がその人に替わって「徳の積み上げ行為」をし、その積み上げ分をその人に“お運び”してあげることができると思わされてしまう。
それはあたかも徳の貯蓄を贈与する感覚であるが、実際にはそんなことは起こらないのである。

真如苑は勧誘の教えであり、勧誘が最上の取り組みである。
徳を積む事は、恐ろしい霊、因縁から身を守るお力をいただける自分になるための取り組みである。
しかし、自分一人では徳を積むことはできない。
人を救う、すなわち人を勧誘して人の霊、因縁を供養する取り組みをしなければ、徳を積めなくなる。
その連鎖がネズミ講型新興宗教たる所以である。
信者の徳積みの裏には、教団に取り組みの代償としての金銭が流れる。


  • 最終更新:2012-05-01 23:19:11

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