抜苦代受:ばっくだいじゅ

抜苦代受とは

真如霊界にいる両童子の力で、信者のしみをき去り、わりに二人がけること。
信者はその効力で、苦しみから解放された日常を送ることができる。

独自用語

教書:一如の道 <究道編・第三章「両童子と抜苦代受」>に記されていることは、以下の概略で締めくくられている。
概略:
抜苦代受とは、「抜苦」と「代受」の二つに分けることが出来るが、両童子は喩えて言うならば天と地。天がなくて地があるということはなく、地がなく天があるということはない。二人が心を一つにして大慈の力をみ仏の世界から信者に取り継いでいる。それが、「抜苦代受」である。
真如苑が栄えるにつれ、力が益々発揮される抜苦代受であるが、真如教徒は一つ心しなければならないことがある。それは、両童子と繋がる順序である。
真如教徒が抜苦代受に浴するために両童子とつながりを持つのは接心修行においてであるが、接心修行を受けさえすれば、両童子と繋がれるという訳ではないのだ。先ず最初に、双親への服従と敬いの心が必要(原文では『帰順と仰慕が第一である』と記載されている)である。双親への帰依を通し、両童子につながり、ひいてはみ仏様につながる。
:以上

真如教徒の特権と同義の「抜苦代受」であるが、単に真如苑に結ばれているだけでは、浴することができない。双親→両童子と服従することによって、両童子が信者に取り継ぎ、取り継ぎによってのみ信者がみ仏さまに繋がることができるのだと説明されている。

抜苦代受に浴するにも、苑に結ばれているだけでは不完全。歩まなければ、なにも起こらないのが真如苑なのである。
しかも、抜苦代受とは真如苑が信者に送り届ける果報であり、一般的にはみ仏さまとは繋がることなどできないのだというプレミアム性を強調している。(それは、“繋がる順序”というロジックで展開されている。)
ありがたいものであると信者に強要しているのである。

良書「水ぶくれ真如苑 ~急成長の秘密と欺瞞の構図~」で述べられているが、信者がある程度教えから抜けられなくなる頃に、「抜苦代受はいつまでも続かない。」と示される。
それは、マルチ商法で言う劣悪商品であることを露呈することになる。
しかし、信者はコミットメントの一貫性も働き、或いは霊、因縁の恐怖も働いており、劣悪商品の露呈であっても、教えに邁進する動機となってしまうのである。



  • 最終更新:2012-01-07 20:11:53

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