無相接心:むそうせっしん

無相接心とは

日常生活において、接心修行にて霊言を下されるのと同様の状況となることを表す言葉。苑の施設外での出来事に該当する。

独自用語

教団施設外での日常生活において『霊言を直接聞く訳ではないが、真如霊界からのお示しとして霊言と同様のことを言われているのだ』と解釈することを無相接心と言われる。

真如苑信者は教団施設の外、世間的な暮らしの中においても常に修行を課せられており、万事が順調ではない時には何らかの因縁による悪い作用が起きていると思い込んでいる。
自分以外の他人(身内も含む)と意見衝突やトラブルなどがあった場合には、その事象を通して、真如霊界から(接心修行で下される)霊言と同様の指導があったのだと自覚しなければいけないとされている。(この状況は“気づき”とも呼ばれている)

接心修行で直接“霊言”として下されるのが“有相”。一方、直接霊言で言われてはいないが、霊言と同様なので“無相”と位置づけられているのである。

無相接心は、ありとあらゆる物事にこじつけることが可能な、完成された詭弁である。日常をのびのびと、リラックスして過ごす気持ちですら“弛緩的”と捉えれば、そこに油断や怠け心をこじつけることが可能であり、その緩みきった心に気づかなければいけない事象、つまりは無相の接心がある---と言えば、恒常的に緊張を強いられることになるのである。

無相接心の実態とは、身口意の三業常住などに並び、信者を教団に縛りつける威力を持ったロジックとなっている。

対の言葉は有相接心

  • 最終更新:2012-06-10 10:08:10

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