結ばれている/ 歩んでいる

結ばれている/ 歩んでいる とは

結ばれている:真如苑信者として登録されている
歩んでいる:真如苑の活動(信仰)を、能動的に行っている

独自用語

“結ばれているだけで救われる”のが真如苑の教えであると、信者は真顔で確信している。

他方、結ばれているだけでは救いの力が万全ではなく、歩まなければ因縁が切れないという状態を示されることもある。
歩むという状況には「三つの歩み」が直接関与している。つまり、信者登録されているだけではなく、歓喜/ ご奉仕/ お救けという活動を行わなければ、真如苑の救いの力が発揮されなくなるというのである。

結ばれている/ 歩んでいる という観念において最も注目すべき点は、その言葉の成り立ちである。

“歩んでいる”つまり、能動的に活動しているという状態は、そこに所属している人であれば、ある意味当然の事なのだが、“結ばれる”という状況が成立するのは、つまり“名前だけ信者”が現存しているという証である。
しかも、真如苑活動の概念として“結ばれているだけで救われる”という状況が生み出されているということは、すなわち“登録だけさせること”や“無断入信”という現状が恒常的であることを明らかにしている。
そして“結ばれているだけで救われる”という考えは、“登録だけさせてしまえばよい”ということと同義であり、“お救け”すなわち勧誘の動機付けの一助となっているのである。

結ばれることの証は、苑費の振込みである。結ばれているだけで救われるという真如苑の力は、逆の意味においては「苑費の切れ目がみ力、霊線の切れ目」という、実に商売的な側面を持っているのである。
“一切衆生を救う”という観念の下にあるその実態とは「会費払わない人は救われないよ」という、厳然たる集金姿勢の表明なのである。


  • 最終更新:2011-12-31 12:57:41

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